
六角橋商店街の一角で、長年親しまれてきた「川美せんべい本舗」。
昔からこのまちに暮らす方のなかには、
「手土産といえば川美せんべい」
そんな思い出を持つ方も多いのではないでしょうか。
その川美せんべい本舗が、閉店を予定している――。
そんな知らせを聞き、六角橋ナビでは店主の石川雅章さんにお話を伺いに行ってきました。
昭和29年の創業から70年以上。
そして、石川さん自身が煎餅を焼き続けて46年。
お店の歴史をたどっていくと、家族で守ってきた店の姿と、一枚一枚の煎餅に向き合い続けてきた石川さんの歩みが見えてきました。
父と母の名前から生まれた「川美せんべい本舗」

川美せんべい本舗の創業は、昭和29年(1954年)。
創業者は、石川さんのお父さま・石川節雄さんです。
屋号の「川美」は、節雄さんの名字「石川」の「川」と、お母さま・恵美子さんの「美」から名付けられたそう。
以来、六角橋のまちで家族とともに店を営んできました。
現在の店主・石川雅章さんは昭和30年生まれ。
六角橋中学校、横浜翠嵐高校を卒業し、大学へ進学しました。
大学卒業後は金融関係の仕事に就職。
もともとは、家業とは違う道を歩み始めていました。
ところが、お父さまが病気療養のため長期入院することになり、状況が一変します。
石川さんは24歳で仕事を辞め、家業を継ぐことになりました。
24歳で突然、煎餅職人の道へ

子どもの頃から店の手伝いはしていたものの、お父さまから煎餅作りを一から教わっていたわけではありませんでした。
そこで力になってくれたのが、お母さまを育ててくれた、家族同然の方でした。
もともと煎餅屋を営んでいたその方が、毎日、鶴見から始発で六角橋まで通い、石川さんに煎餅作りを教えてくれたそうです。
およそ2か月間の修行を経て、本格的に煎餅職人として歩き始めた石川さん。
お母さまが担当していた経理は、現在は妹さんが引き継ぎ、工場と販売も手伝っています。
パートさんたちは醤油を塗ったり、袋詰めをしたり、販売も担当。
川美せんべいは、家族と周囲の人たちが一緒になって守ってきたお店でもありました。
「今でも100点だと思ったことはない」



川美せんべいの煎餅は、草加から仕入れた乾燥生地を、店内で一枚一枚焼き上げて作ります。
焼く前に欠かせないのが「ホイロ」と呼ばれる工程。
筒状の網に生地を2キロほど入れて回転させながら、70度ほどの温度を保ち、1時間半から2時間ほどかけて温めます。
ここで最後の水分調整と予熱をすることで、川美せんべいならではの絶妙な歯ごたえにつながるのだそう。
「これをやらないと、カチコチに硬い煎餅になっちゃうんですよ」

気温や湿度によって、生地に含まれる水分は毎日変わります。
先代の時代は職人の感覚を頼りにしていた部分も、石川さんの代になってからは温度計や湿度計を取り入れ、数字も確認しながら調整するようになりました。
それでも最後にものをいうのは、長年積み重ねてきた経験です。
「今でも100点の出来だと思ったことはない」
46年間焼き続けても、毎日工夫を重ねてきたと話す石川さん。
その言葉から、煎餅作りへの真摯な姿勢が伝わってきました。
36枚の煎餅を、500度の釜へ

ホイロを終えた生地は、1つの網に36枚ずつ挟み、約500度の電気釜へ。
煎餅を挟んだ網はかなりの重さがあります。
多いときには1日約3,000枚。
繁忙期には朝から晩まで焼き続けることもあったそうです。
焼き上がった煎餅には、醤油やざらめなどで味付けをして、再び乾燥。
海苔や昆布を巻く商品は、海苔をいったん湿らせ、一つひとつ手作業で巻いていきます。
湿気は煎餅の大敵。
作業場では何台もの除湿機を稼働させ、最後まで食感を損なわないよう気を配ってきました。

網を修理してくれる職人も、今ではほとんどいなくなったそう。
かつて神奈川新町のお店で購入していた網も、傷めば石川さん自身が針金を使って補修しながら、大切に使い続けてきました。
煎餅を焼く技術だけでなく、道具を守ることも含めて、川美せんべいの日々の仕事だったのです。
9種類の手焼き煎餅と「茶の友」



川美せんべいの手焼き煎餅は、しょう油、ごま、磯の香り、コブ、ざらめ、甘辛、錦、七味、青のりの9種類。(今は在庫ナシ)
そして、もち米を使ったあられ「茶の友」にも、醤油味や塩味、白醤油味、揚げ物、甘口、辛口など、さまざまな味があります。
昨年は米をめぐる状況の影響で、煎餅に使ううるち米や、あられに使うもち米の入手にも苦労したそうです。
材料がなければ、納得できるものは作れない。
長年続けてきたなかでは、そんな時代ならではの苦労もありました。
それでも川美せんべいの程よい硬さと食べやすさを気に入って、繰り返し買いに来てくれる方も多く、贈答品としても長く親しまれてきました。
「一度食べると、また来てくれるんですよ」
石川さんがそう話す川美せんべいの味は、いつしか六角橋の「いつもの味」になっていったのかもしれません。
「70歳になったら」と思いながら続けた日々

46年間、重い網を持ち続けてきた石川さん。
2~3年前から肩に痛みがあり、湿布を貼りながら仕事を続けていました。
「70歳になったら、やめよう」
そう考えていた時期もあったそうです。
けれど、お客さんからは「できるだけ続けてほしい」という声が寄せられました。
その声に応えたいと、70歳を過ぎても煎餅を焼き続けてきた石川さん。
しかし今年6月下旬、肩の腱板を断裂。
現在は療養中で、手焼き煎餅を作ることができない状態となりました。
石川さん以外に煎餅を焼ける人はいないため、現在店頭で販売しているのは在庫のあられのみ。
閉店する日は、まだ決まっていません。
まずは3か月ほど療養し、肩の回復を見ながら今後のことを考えていくそうです。
今後については、店頭やSNSなどでお知らせする予定とのことでした。
「お客さんには、感謝しかない」

これまでを振り返っていただいたとき、石川さんの口から何度も出てきたのが、お客さんへの感謝でした。
長く続けてこられたのも、店に足を運び、川美せんべいを楽しみにしてくれる人がいたから。
「お客さんには感謝しかない」
70歳をひとつの区切りにしようと思いながらも、その声に応えたくて、ここ数年は身体と相談しながら店を続けてきました。

長い歴史のなかでは、テレビ番組「ぶらり途中下車の旅」の取材を受けたことも。
その際にお店を訪れたのは、ロサンゼルスオリンピックの金メダリストとしても知られる、元体操選手の森末慎二さん。
石川さんにとって、今でも良い思い出として残っているそうです。
仕事を離れれば、ギターとテニスが趣味。
昨年は高校の古希の同窓会にも参加しました。
そして、杉山大神のお祭りでは毎年お囃子に参加しているという石川さん。
肩を痛めてからテニスはお休みしていますが、来月のお祭りのお囃子を楽しみにしていると話してくれました。
煎餅職人としてだけではなく、六角橋で育ち、暮らし、地域の人たちと一緒に時を重ねてきた石川さん。
川美せんべいの70年以上の歴史は、そんな石川さんとご家族、そしてお店を愛してきた地域の皆さんの歴史でもあるのだと思います。
46年間、本当にお疲れさまでした






24歳で家業を継ぎ、それから46年間。
暑い日も寒い日も、生地の状態を見ながらホイロをかけ、重い網を持ち、500度の釜の前で煎餅を焼いてきた石川さん。
「今でも100点だと思ったことはない」
その言葉を聞くと、川美せんべいの一枚の向こう側に、これまで見えていなかった46年という時間を感じます。
昔から六角橋に暮らす人にとっては、手土産として。
誰かの家を訪ねるときの贈り物として。
そして、お茶の時間のいつもの味として。
川美せんべいは、長い間このまちの日常に寄り添ってきました。
閉店の日は、まだ決まっていません。
肩が回復したら――という気持ちも、石川さんのなかには残っています。
だから今は、「さようなら」ではなく。
石川さん、46年間、本当にお疲れさまでした。
そして、六角橋で変わらぬ味を届け続けてくださって、ありがとうございます。
まずはゆっくり肩を休めてください。
これからについては、川美せんべいからのお知らせを待ちながら、六角橋ナビでも見守っていきたいと思います。
川美せんべい本舗
住所:横浜市神奈川区六角橋2-3-3
電話:045-491-1071
営業時間:午前10時~午後4時
定休日:日曜・月曜・祝日

この記事を書いたひと
あっきー
神奈川区在住。
22歳の娘と20歳の息子、夫の4人暮らし。
おいしいものやたのしいことなどのオススメ情報をオススメするのが好きです。
2代目編集長🔰

